#1 弥生時代の人々の心情

「社会科は暗記科目だ。」という人がいる。

 

社会科とは、中学校でいう「社会」、高校でいう「地歴・公民」(今は違う言い方をするのかもしれない)のことを指すが、暗記科目であるはずがない。なぜなら、国(人、土地、自治体など)に何が起こったのか、何を語ってきたのかを学ぶ、知る科目だからだ。国が語ってきたことを学ぶ。つまり、社会科とは、ほぼ国語なのである。

 

社会科は暗記科目と考えている人がいるから、あのような悲劇が起こるのだ。

悲劇が起きたのは、ぼくが中学生のころだった。
ぼくは中学生のころから、社会科だけが好きで得意な少年だった。国語や英語、数学や理科はてんでダメ。音楽や体育も別に好きではない。テストでは、社会科だけで100点を狙い、ほかの科目のテスト勉強は一切していなかった。したがって、社会科の授業は一番楽しみな時間だった。

その日は歴史の授業で、日本の弥生時代の人々の暮らしについて学んでいた。冒頭で、前回の授業の復習中、社会科担当の笠原先生が黒板に大きい写真を貼り、「弥生時代に入ると、人々は集落をつくり、生活していましたね。これはその時代に作られた建物の写真です。これは何と呼びますか?」とクイズを出題した。ぼくはこの手のクイズが小さいころから好きだ。指名されろ!と思っていると、ある女の子が指名された。こういうとき先生は、自信満々なやつはだいたい指名しない。女の子は立ち上がり、「高床式倉庫」と回答した。クラス全体がゆるっとざわついたのを感じ、間違いを悟ったのか、女の子は「じゃあ、物見やぐら」と回答しなおした。

そう、その写真クイズの正解は「物見やぐら」だったのだ。

その後、何事もなかったかのように先生は授業を進めようとしたが、ぼくは到底次へ進めない。物見やぐらは倉庫にしては高すぎる。「高床式」どころの高さではない。「高床すぎ倉庫」なのである。ぼくはこらえきれず、「いくらなんでも高すぎる、それじゃ高床式倉庫じゃなくて高床すぎ倉庫じゃん。」と言ってしまった。クラスは一瞬静まり返ったあと、笑いに包まれた。

 

ぼくの頭の中は笑いをとったという満足感ではなく、なんでそんな間違いをこの子はしてしまったのか、それでいっぱいだった。彼女は、あの時代の建物は高床式倉庫か物見やぐらだ、と覚えていたのだろう。つまり、社会科を暗記科目であると考える勢力だったのだ。間違いない。あっち側の人間だったのである。それが「じゃあ」に表れていた。

でも、この間違いは、彼女の問題ではないと思った。笠原先生の問題なのだ。笠原先生が「この建物を作った、弥生時代の人々の心情を答えよ。」と出題していれば、彼女も違う答えができたはずだ。まさに、社会科はほぼ国語なのである。

 

その日以降、彼女が、ぼくと口を聞いてくれなくなったのは言うまでもない。