#4 自己紹介


無口で無表情だと、何かを考えていると思われることが多いが、そんなことはない。

 

いくつかエッセイを書いているが、ここまで特に自己紹介をしないで来てしまったので、ここら辺でやっておきたいと思う。

ぼくは、喜怒哀楽があまり表情や言葉に出ないタイプだ。というよりも、喜怒哀楽があまりない、感じないタイプなのかもしれない。いや、人や物事にあまり関心がないからか、心が揺らぐ回数が非常に少ないといった方が正確かもしれない。

何か目標を達成しても、渋谷の交差点でわざと肩をぶつけられても、テレビでネコを見ても感情が動くことはほぼないし、「全米が泣いた」と評判の映画を見ても泣けた試しがない。

 

こんな感じで過ごしていると、得することもあるが、当然損だなぁと思うこともある。

得したことといえば、どこへ行っても、「こいつ、なんかいい案出しそうだな」と思われることだ。黙っているし、表情も動かないとなれば、何かを深く考えているに違いない、自分の世界を持っているタイプの人間だと勝手に判断されることが多い。みんなが話術や大きめの相槌で存在感を示す中、何もせずにノーカロリーで一目置かれることができるのは、大きなプラスだと感じている。

ぼくは昔野球をやっていたが、小・中・高・大、四つのカテゴリーの全てのチームにおいて「何か考えていそうだ」という理由で謎の発言権を与えられていた。何か行き詰ったり、議論が紛糾したりしたときに監督やコーチから意見を求められることが多かった。野球部には基本的に静かな奴はいない。その環境の中での無口無表情は逆に光っていたのかもしれない。

損だなぁと思ったことといえば、どこへ行っても「こいつ、何を考えているかわからないから怖いな」と思われることだ。皆さんご存じだと思うが、人は会話や表情でコミュニケーションを取る。しかし、ぼくはそれをほとんどしない。そうすると、次第に敬遠されていく。人は、よくわからない、共感してくれない人を怖いと感じるようにできているようだ。こちらからすると、表情豊かで、まくしたてるように話してくる人の方がよっぽど怖いと思うが、そうではないらしい。その証拠に、ぼくは小さいころから、いつもみんなの輪の中心にいる人気者になったことがないし、リーダーなどのまとめ役を任されたこともない。

 

「ねえ、何を考えているの?」「何を考えているかわからないから、教えて。」と聞かれることが頻繁にある。この質問が、ぼくは大の苦手だ。

なぜか、それは、ぼくが基本的に、何も考えていないからである。その質問への回答を持っていないのだ。無口で無表情なのは、本当に「無」だからなのである。何も考えていないのに、勝手に一目置かれるし、勝手に怖いと思われる。本当に困った状態だが、この状況が三十年続いてきた。

 

そんなぼくでも感情が動くことがある。同じような無口で無表情な人を見つけたときだ。なんだか友だちになれそうな気がして、思わずニヤッとして話しかけに行ってしまう。ただ、その人が、ニヤッとして嬉しそうにたくさん話してくるやつと友だちにならないのは、ぼくが一番わかっている。